仙台市道・川崎町道湯元碁石線/上赤沢山トンネル

廃道とか旧道とか未成道とか

前回の続きから


場所はこのあたり
先程の封鎖から少し進んだところ
ここで分岐が出てくるが左に行くのが正解である


ここからはいよいよ廃道のようだ


所々路肩が崩れてる


ビーノに乗ってたので道中の写真はあまり撮らなかったが、急勾配が続き落石が多く、かなり慎重な運転を要求された
現役時代も軽トラでしかこれなかったんじゃないだろうか
そもそもこんなところにビーノで来るやつなんておらんよな


場所はこのあたり
急勾配を登り切るとトンネルが見えてきた
上赤沢山トンネル
と言うらしい
こちらは廃道ということもあり、川崎町の資料からは探れなかったが トンネルリストに記載があった
延長は36m 竣工年はまさかの下追沢トンネルより5年早い1960年だった

──これはどうゆうことなんだ?もしかしてこの道は川崎町側から造られたのか?それにしても5年も開くのだろうか…?


トンネルは下追沢トンネルと瓜二つ 見分けがつかないレベルでそっくりである


トンネルの手前には若干の崩落が見られる


トンネル内部もそっくりである


ただひとつ違うのは、こちらには素彫の区間が残されていたという事だ
どうしてここだけコンクリで巻かれてないのか分からないが、もしかして元は全部素掘りだったのだろうか?


トンネルを抜けた先
ここで道は二手に別れる


ここは左に行くのが正解なのだが、その道がもはや道としての体をなしてなかった
急勾配の路盤が流水でさらに削られて酷いことになってる
平場こそ残ってるので道だとは分かるが、少なくともこの先はビーノでは行けないと思い素直に引き返した

さてこの道だが、周辺に石丁場やその跡が多くあるので、それらのために掘られたトンネルだろうと思っている
この辺は「秋保石」で有名である その秋保石はかつて仙台長町と秋保を結んでいた秋保電気鉄道によって輸送されており、切り出しや積み込みのための側線もかつてはあったと言われているぐらいだ

当然その秋保石の切り出しの拠点となるのは秋保なはずなのだが、この道が川崎町側から造られてるとなると話は別である

秋保から造られてるとなると石丁場の開拓の為に南に道を伸ばし、2つのトンネルを経て最終的に川崎町側へ伸ばされた とのストーリーが考えられるが 実際には川崎町にある「上赤沢山トンネル」の方が秋保にある「下追沢トンネル」より先に出来てるとなる

単に川崎町碁石と秋保を結ぶ峠道として造られたのか?
真相は謎である

また何か分かったら記事にしたいと思う

おわり

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