
高柵山隧道
竣工年は1884年(明治17年) 延長は16m
正真正銘の明治隧道である
宮城県には これより古い隧道は 1882年竣工の旧関山隧道しか存在せず、宮城県では2番目に古い隧道となる

中を見てみよう
比較的広めの素掘り隧道である
短さも相まって全く圧迫感を感じない
見た感じ崩落や亀裂もなく 保存状態はかなり良好と言える
ちなみに私は隧道を見つけた時点で大興奮、こんな身近に保存状態のよい明治隧道が残ってる時点で興奮モノなのに、それがネット上にほぼ情報がないシロモノなのだから、恐らく過去一番盛り上がっていたと思う
にしても、なんでこんな逸材が話題に上がることなく今の今までネットの海に埋もれていたのだろうか
【前編】で言った通り、ヨッキれん氏初め何人かはこの隧道を探索しているはずである
が、それも10年以上前の話で ここまで他の人の足跡も全く見なかったし ここ暫くは本当に誰も訪れていなかったのでは?
資料は沢山あるし所在も分かりやすい隧道なんだけどなぁ

隧道に入ってから振り返ってみる
土砂が流入しているが、崩落によるものというより、単純にすぐ手前を流れる沢から流入している気がする

隧道内に 凹んでる部分があった
仏様でも居たのかな?

出口はすぐだ

赤いリボン?
ココ最近のものではなさそうだけど、なにこれ?

高柵山隧道を抜けた
この隧道はかつて一番の難所であった天狗岩を貫いているらしい

確かに迂回の余地は無さそうだ

遠望からこの隧道みるとこんな感じである
そう、この隧道は大倉ダムのアーチの上からでも確認出来る
遠くから見るとよくこんな険しい所に道を通したなと感心する

さて、隧道を抜けると 道はコンクリート製の橋でなんとか崖にしがみついている

写真で伝わるかな?このやばさ
下が滅茶苦茶深くて 底が見えないの


なんか道にワイヤーが転がってた

なにこれ

険しい場面はこの当たりで終わる

巨大な壁も迫ってきた

ダムサイトも近くなり、ダムの関連施設も見えてくる



ここにきて片洞門が見えてきた
こちらも短いながらも立派に残っている

反対側から片洞門を見る
片洞門を過ぎるとコンクリート橋があり、その先からはダムの施設が造られ道は消滅している

その隣に水道があった

大倉用水第一号隧道

道は消滅したが、ここからはダムの管理施設があるおかげか比較的整備がなされてる
ちなみにここへはダムの上から階段で降りてこられるので 私が来た道をわざわざ通って点検に来る訳では無い

そしてまもなく巨大な壁に隔たれ、前進出来なくなった
旧定義街道はここで完全に分断されることとなった
当時はこのあたりで天狗橋で左岸に渡り 時代によっても変わるが基本的に終点の定義まで大倉川の左岸を通っていたようだ
現在はほぼ大倉ダムに沈んでいて 恐らく痕跡も残っていないだろう

おわり


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