
場所はこのあたり
探索日は2019年2月21日
山梨県道706号精進湖畔線はその名の通り富士五湖のひとつ 精進湖(じょうじこ と読む)の湖畔を走る道で 国道358号と国道139号を結ぶので、国道358号と国道139号の交点である赤池交差点がよく混雑することもあり、バイパス路としても利用される道である。
この日も国道358号を北から走り、139を西へ抜ける際に抜け道として使った。
この県道だが、途中に一つだけトンネルが存在する
それがこの「宇の岬トンネル」だ
平成元年竣工の比較的新しいトンネルで (旧道ありそうだな…)と思いながらトンネルを抜けると、助手席に座ってた狐のおじさんが叫んだ
「おい、旧道にトンネルあるぞ!」
「まじで?!」

車をUターンさせ、宇の岬トンネルの北口に車を停めた
トンネルの左側から旧道は分岐する

直ぐに旧トンネルが見えてきた
宇の岬隧道
昭和29年竣工
延長98m 幅員4.5m 高さ4.3mとのこと
なお高さ制限の標識が残ってるが 余裕を持って3.2mらしい

舗装もそのまま残っている
隣にはさらに旧旧道のような道があるが、これは精進ホテルへのアクセス路でこの道とは関係ない
精進ホテルは1895年にイギリス人であるスチュード・ソロモンが日本初の外国人専用のホテルとして造られたという歴史あるホテルだ
彼はここを永住の地として決め、同時に海外へ情報発信している
その広報活動が熱狂的すぎて、精進湖は「東方のスイス」として知られ 外国郵便で宛先に「Japan lake Shoji」としか書いてないのにで精進ホテルに届いてしまったとの逸話さえもある
その広報活動の成果なのか イギリスのエドワード皇太子の耳にも入り 「訪日の際には是非とも精進湖へ行きたい」と皇太子時代の昭和天皇にお願いするほど (これは昭和天皇から誘ったとの説もある)
結局エドワード皇太子の来日の際には悪天候のため精進湖訪問は実現しなかったが、後日昭和天皇がこの精進ホテルへ訪ねている
といった内容を要約したのが精進湖観光協会のホームページに書かれていたが、そこでは「精進ホテル」ではなく「精進湖ホテル」として紹介されている
おい公式……
さて、そんな精進ホテルだが、スチュード氏の死後 1937年頃に上野精養軒に経営の手が渡ってる
その後いつ頃から分からないが 夏季のみの営業となり 2008年頃富士急が買収 富士急はその年の夏季営業を行わなかったため 現在休業中となっている
調べてみると、意外にも廃墟界隈では有名な物件だったみたいだが、機械警備が入ってるので侵入している人は少ない
また歴史ある老舗ホテルのはずなのに現役時の情報が驚くほど少なかった
2007年に実質廃業したので、まだネットの普及が追いついてなかったのか
あ、話が脱線したね
廃隧道の話だった

トンネルは見事なまでに封鎖されている
山梨県で廃道探索すると、この様な封鎖の仕方を飽きるほど見ることになる

表面が一部剥離してるがアーチ部分はしっかり残っている
にしても、この廃隧道よりこの上に立ってる廃墟の方が歴史があるのか…
さて、この道の成り立ちを紹介しよう
この山梨県道706号線の大部分は 旧中道往還に由来する
中道往還は甲府から右左口と本栖を経由して大宮(現在の富士宮)を通り東海道へ至る街道で 現在の国道139号と国道358号の元となった道である
この道自体が国道指定された過去はないが、歴史的経緯からすると国道358号の旧道にあたる道になる(と言いながら実はこの道には山梨県道113号甲府精進湖線との重複区間が少しだけ存在し、その重複区間はかつて国道指定を受けていたという過去があったりする)
地形図には1900年頃には既に登場していて、ちょうど精進ホテルの西側を通っているよう(つまり現在の県道と同じ位置)に道が描かれてる
最も当時から宇の岬隧道が存在したとも思えないので、馬車が通れる程度の道が この隧道の上にも通っていたのかもしれない
この道は甲府精進湖有料道路が造られた1972年頃まで甲府と精進を結ぶ旧中道往還として 山梨県道13号甲府精進湖線(当時)として指定されていたが、甲府精進湖有料道路の完成により精進湖右岸に道が造られたためそちらに移行、1975年には国道358号に昇格している
とは言えこの昇格した国道358号は長らく不通区間を抱えていたのは有名な話で、精進湖の北にある女坂峠は昭和にはいる頃には既に衰退し道としての機能を果たしてなかった状態だったので、この道の重要性は対してなかったと思う
それでもこの道に隧道が掘られたのは 精進湖の北側にあった精進集落へ至る唯一の道だったというのが大きいと思われる
現在の精進集落の中心はネット上で「自殺者の村」とかいう都市伝説が知れ渡っている 精進湖民宿村だが、この精進湖民宿村は1972年に集団移住したことにより生じた集落で、それ以前は精進湖の北側に集落が存在した*
既に観光地であった精進湖や精進集落への唯一のアクセス路だったこの道はこの隧道の完成によって利便性向上を果たして大いに賑わったのかもしれない
(時期的にはこの隧道の完成により初めて精進集落へ自動車が通れる道が開通した可能性がある。しかしこれ以前の地形図には既に女坂峠までは車道が通じていて不通区間はその先だと描いてある。ところが現実には女坂峠に車道は存在せず、宇の岬隧道の上に車道規格の道が存在していたような痕跡を現場では見つけられなかったのであくまでこの車道は馬車道の事だと思われる)
*精進湖民宿村の移住時期が甲府精進湖有料道路の建設時期と被ってるのは恐らく偶然ではない。精進湖民宿村は西湖で水害が起こったの聞き、自分らも危ないのではないかと考え集団移住を決めたと言われてるが、甲府精進湖有料道路の建設による立ち退きも原因のひとつであった可能性が大いにあると思っている。現に移住前の集落は甲府精進湖有料道路、現在の国道358号の道路敷に組み込まれている。


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