中山宿駅

訪問日は2019年4月14日
福島県郡山市と猪苗代町の境にほど近い場所にある駅で、ここからもう少し会津若松方面へ進むと中山峠がある。
このあたりは古くから交通の難所として知られ、磐越西線も中山峠に向かって25‰の急勾配区間が続いている。
駅舎はプレハブ造りの簡易的な待合室で、ホームも1面1線の棒線駅になっている。

ちょうど会津若松行の列車が来た。E721系、このあたりではよく見るやつだ。

列車は中山宿駅を出ると、すぐに中山トンネルへ入っていく。

その隣には、なにやら煉瓦造りの構造物が埋まっている。
これは旧中山トンネルの坑口跡。
1967年(昭和42年)の磐越西線郡山~喜多方間の電化に伴う線路改良によって新しい中山トンネルへ切り替えられ、旧トンネルは廃止された。
この区間では中山トンネルを含め、明治期に建設された複数のトンネルが電化に伴って新トンネルへ付け替えられている。

ちなみに手前に写っているバイクは、当時の愛車ビーノ50。
この探索当時は仙台に住んでいたので、「仙台から原付でどこまで行けるのか」を試してみたくなり、ひたすら南へ向かって走っていた。
この日は最終的に会津若松まで行っており、往復500km弱を原付で走っている。
これで「意外と原付でも長距離いけるな」と思ってしまい、帰省の際には仙台から静岡まで、およそ600kmを原付で帰るようになったのは余談である。
旧中山宿駅
さて、この中山宿駅。
その歴史は古く、磐越西線の前身である岩越鉄道が郡山から中山宿まで開通した1898年(明治31年)7月26日、まず仮停車場として開設された。
翌1899年(明治32年)3月10日、中山宿~上戸間の延伸に合わせて正式な駅となっている。
先ほども書いたように、この先の中山峠は25‰の急勾配が続く鉄道の難所だった。
蒸気機関車の時代、急勾配の途中に駅を設けて列車を停車させてしまうと、そこから再び発車することが難しい。
そこで本線の勾配上にホームを置くのではなく、本線から分岐した比較的平坦な場所に駅を設け、列車の進行方向を切り替えながら出入りする「スイッチバック」が中山宿駅にも採用された。
その旧中山宿駅の跡が、現在の駅から少し離れた場所に残されている。

それがこちら。
現中山宿駅から歩いて5~10分ほどだったと思う。
現在の簡素な棒線駅とは対照的に、かなり大規模な構内だ。
中山宿駅のスイッチバックは、もともと列車が必ず駅構内へ入らなければ本線を通過できない「通過不可能型」だったが、1963年(昭和38年)に本線をそのまま通過できる「通過可能型」へ改良された。
以後は中山宿駅に停車する列車だけが本線から旧駅へ入り、折り返して再び本線へ戻る構造となっていた。
そして1997年(平成9年)3月22日、駅そのものが会津若松方へ約800m移転。
現在の本線上にホームが設置されたことで、約100年にわたって使われてきた中山宿駅のスイッチバックは役目を終えた。
なお、ここ中山宿駅が東北最後のスイッチバック駅であり、中山宿駅のスイッチバック廃止により東北から旅客営業を行っている勾配型スイッチバック駅は消滅した。
(※貨物駅では岩手開発鉄道岩手石橋駅が現在でも現役でスイッチバック構造が残っている)

実はこのスイッチバック駅、廃止後も一部は保線車両の留置場として現在も使われている。

奥で本線とつながっている。

上を見ると、現在の磐越西線の本線が走っている。
旧中山宿駅は、その本線から一段低い、中山宿の集落側の比較的平坦な場所に造られていた。
急勾配の本線からわざわざ平坦な場所へ列車を逃がして停車させる。
こうして現地で高低差を見ると、なぜここにスイッチバック駅が必要だったのかがよく分かる。
ホームの反対側にある建物は、保線用車両の車庫となっている。

ホーム西半分はすでにレールがはがされている。

ホーム上には駅名標レプリカが置かれている。
2015年ごろに設置されたらしい。

右側にはもうひとつホームのようなものが見える。
貨物ホームでもあったのだろうか?

ホーム上にキロポストとレールが置かれている。かつてこのスイッチバックにあったものだろうか



ここだけ切り取るとまるで現役のホームのようだ。

ちなみに裏側には、注意書きが書かれていた。
確かに現役の線路もあるから、間違える人もいるのかも知れない。
……いやそんな奴おらんだろ。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1898年(明治31年)7月26日 | 岩越鉄道 郡山―中山宿間開通 |
| 1899年(明治32年)3月10日 | 中山宿―上戸間開通、中山宿が途中駅となる |
| 1906年(明治39年) | 岩越鉄道国有化 |
| 1963年(昭和38年) | 通過不可能型から通過可能型スイッチバックへ改良 |
| 1967年(昭和42年)7月1日 | 郡山―喜多方間電化 |
| 1983年(昭和58年) | 中山宿駅無人化 |
| 1987年(昭和62年) | 国鉄分割民営化でJR東日本へ |
| 1997年(平成9年)3月22日 | 約800m会津若松方へ駅を移転、スイッチバック廃止 |
| 2015年(平成27年)頃 | 旧駅跡の保存・観光向け整備が進む |
航空写真でみる中山宿駅の変化

1965年の航空写真(国土地理院地図より引用)
スイッチバックが通過可能型に改良された1963年から、電化に伴う線形変更が行われた1967年までの間に撮影されたものだ。
写真右側に写るのが旧中山宿駅構内である。

航空写真が少々不鮮明なので断定はできないが、配線はおそらくこんな感じだったのではないかと思う。

1975年の航空写真(国土地理院地図より引用)
電化後の写真であり、左側に写る中山トンネルが線形改良によって付け替えられているのが分かる。
また、1965年の写真には見られなかった架線柱も確認できる。
集落側を見ると、国道49号も中山宿の宿場町を通り抜ける旧ルートから、集落の外側を通る現在のルートへ変更されており、その前後でも線形改良が行われている。

2014年の航空写真(国土地理院地図より引用)
スイッチバック廃止後の航空写真。
中山宿駅は中山トンネル手前の本線上へ移転しており、旧駅構内には一部の線路が残っている。
一方、かつて使用されていた引上げ線は完全に藪に覆われ、航空写真からはその痕跡をほとんど判別できなくなっている。
おわりに
磐越西線は、まさに山越えとの戦いの中で築かれてきた路線である。
中山峠以外にも、S字カーブを描くようにして無理やり勾配を克服した箇所があり、その過程で生まれた旧線跡も数多く残されている。
列車の姿は消えても、旧ホームや旧トンネルには、かつてこの峠を越えていった鉄道の記憶が今も静かに残っている。
今回は中山宿駅周辺だけだったが、まだまだ気になる場所は多い。
いつかまた、磐越西線が山を越えるために刻んだ痕跡をたどりに訪れてみたいものである。
場所はここ

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