
場所はこのあたり
探索日は引き続き2018年6月17日である
ここは宮城県道55号線の新天狗橋である
天狗橋については詳しくはWikipediaの記事を参照してほしいが、この大倉川に古くから架かっていたのが天狗橋である
江戸時代にはあったと言われ、板橋もしくは石橋がこの地に架かっていたらしい
大倉川は河岸段丘にかなり深い谷を築いており その水面から約50mもの高さで橋を通してたというから、当時の技術力には脱帽する
この困難さからか、天狗が大木を谷に倒しそれを橋にしたとの伝説も残るぐらいで、この言い伝えが天狗橋の元となっている
近代になってからは明治17年(1884年)に工兵隊の力を借り 高柵山を伝い天狗岩を隧道で越え、その先で大倉川を越えるというルートに改められ 天狗橋を付け替えられた
その後明治34年(1901年)にも架け替えられ、人馬も通れるようになり その後何度か付け替えられ、1961年に大倉ダムに沈み、その代替として作られたのがこの新天狗橋である
今回は1884年に工兵隊により開拓された道「高柵新道」を探索する
この道は現在の宮城県道55号定義仙台線の元となった道であり、途中には宮城県でも最古級の隧道「高柵山隧道」があったと言われる
この「高柵山隧道」なのだが、旧大倉村や大倉ダム関連の資料に度々出てくるのにも関わらず、ネット上に情報がないのを前々から不審に思っていた。
どうやら『山さ行がねが』の掲示板で2004年頃に書き込みがあったということ(現在閲覧不可)と、それを見て2005年頃に探索してサイトにupされた方が居た(http://www.geocities.jp/hkdo2/ro/jok/01.html→現在は閉鎖済み)ということは分かったが、Google検索をしても高柵山隧道の現在の様子についての情報は全く出てこない
これは探索後に知ったのだが ヨッキれん氏も2006年に探索していたようで、全く誰も探索しなかった訳では無いらしい
たまたま誰も新たにネット上に上げることなく埋もれてしまったのだろうか
当然、この探索当時はそんなことも知らなかったので 未知の隧道がこの先眠ってるのではないかと期待に胸を躍らせながら先に進んだ

場所はこのあたり
県道から北側へ分岐する道が国土地理院地図やゼンリン系の地図で確認できるが その道がかつての『高柵新道』に当たる

が、この探索時は既に6月 この前に行った探索でも激薮に襲われており……

激薮で道を見失っていた
いや、GPSも持っていたのだが、なんというか、この激薮で意欲を失っており この段階では机上調査も何もしていなかったので、この先に隧道が本当にあるのかどうかも分かっていなかった
そしてなにより、既に17時を回っており、このまま日没を迎えたら普通に遭難も考えられた。

朝からチャリで動き回っていて、完全に疲労困憊だった私は17時半を過ぎた時点で撤退した

場所はさっきの場所
日付は変わって2019年4月5日である
雪解けを待ってたらまさかの4月入ってから再び雪が降るなんてこともあったが、大学終わってからそのままビーノでここまでやってきた
前回はチャリで中に入ったが 今回はビーノなのでここから歩く

前回は藪で分からなかったが、右側には岩肌が迫っていた


すぐ近くには大倉ダムのでっかい障壁が立ちはだかっている

既に前回撤退した場所より先に進んでいる


写真で見ると木が至る所に生えてて歩きづらそうだが、別にそんなことは無かった

倒木や落石がデフォ

場所はこのあたり
かなり進んだ ここまでは順調のようだ

………目の前に嫌な崩落が見えるんですが


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