真田城
訪問日 2017年3月21日
所在地 神奈川県平塚市
丘城
築城者 佐奈田義忠
築城年 平安時代末期(1394年~1428年)
神奈川県平塚市にある真田城
真田・・・?信濃真田家となにか関係あるのか?と思い城メグの口コミを見てみると
実はここが「真田発祥の地」なのじゃぞ!
というコメントが、というわけで俄然興味がわいてきたので2城目はここにすることに
真田城は三浦家一族、岡崎義実の嫡男、岡崎義忠がここ佐奈田の地を領し砦を築いたことが始まり。
義忠はその後土地の名前から佐奈田与一義忠を名乗る。
その後、義忠は父の岡崎義実や叔父の三浦義明と共に伊豆で挙兵した源頼朝に味方し山木館襲撃などに参加したのち、1180年8月23日の石橋山の戦いで10倍近い戦力差がありながら平家相手に善戦し、討死。
その後真田城は義忠の嫡男、岡崎実忠が継いだらしいのだが、鎌倉幕府成立後の1213年、頼朝亡き後に起こった執権北条家に対する反乱である和田合戦に巻き込まれて子共々戦死したようである。(なお和田氏は佐奈田氏の同族である)
最もこのとき岡崎氏や佐奈田氏がこの佐奈田の地を治めていたかどうかは不明である、また義忠の次男盛実は土佐中山城を治め中山盛実を名乗っており、佐奈田氏自体は義忠1代で断絶している。
室町時代の真田城は扇谷上杉家(もしくはその配下にあった上田氏や相模三浦氏、駿河大森氏)の砦として機能していたと思われる。
1495年頃、大森藤頼が伊勢盛時(北条早雲)によって居城小田原城を奪われるという事件が発生、藤頼は縁戚にあたる三浦義同の支援を受けて実田城(真田城のこと)に逃れ戦ったと言われるが、伊勢氏の侵攻に破れ真田城にて自害したと言われる。
また、扇谷上杉家の家臣で相模国守護代の上田氏の居城(?)として整備されたとも伝わるが詳しくは不明。
1510年 上田氏当主の上田政盛が伊勢盛時の調略により権現山城にて挙兵し伊勢氏に寝返ったが、山内、扇谷両上杉家によって攻められ滅ぼされている。このとき山内上杉家によって実田要塞が攻められた記録があるため。少なくとも上田氏の支城として機能していたとは思われる。
その後は扇谷上杉氏、北条氏の領地となったと思われるが不明、おそらく廃城になったと思われる。
とまぁ、調べてみると以外にも歴史のある城郭であったことが伺える
さて、口コミにもあったここが真田発祥の地であるとのことだが、どうやら地名として「真田」が使われたのがここが一番最初で、全国各地にある真田という地名はここが由来と考えることができる。というものらしい。
しかしここは元々「佐奈田」という地名であり、室町時代には実田、後に当て字で真田が使われたと言われているので実際にここが由来になったかどうかはわからない。
もちろん真田幸村らで有名な信濃真田氏と佐奈田氏が関係があったとは考えにくい
そもそもここが「真田」の当て字が使われるようになったのが、江戸時代に流行った軍記物により「佐奈田与一義忠」の「佐奈田」が「真田幸村」の「真田」と混同され、しばしば錦絵で「真田与一義忠」として描かれていたことが由来とも考えられ、むしろ向こうが本家の可能性まである。
そんな真田城であるが現在は開発によってほとんど痕跡は残っておらず、城跡にある天徳寺にわずかに残るのみである

与一堂 なぜか近寄るとセンサーが作動し警報機がなる。なんで・・・?

どうやら墓地の向こうに見えるのが土塁の跡らしいと後日の机上調査の際に気づいた













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