
- 訪問日 2018年3月22日
- 所在地 静岡県裾野市
- 山城
- 築城者 葛山氏堯?
- 築城年 室町時代?
昨日は番外編として発見!ニッポン城めぐりに収録されていない神山城を紹介しましたが、今回はちゃんと収録されている城です。
葛山城は駿東郡一帯を治めていた国人衆葛山氏の居城です。
城メグの解説によると
東駿一帯に勢威を振った葛山氏の城である。
戦国時代、葛山氏は今川氏の有力国人となっていたが、葛山氏元の際に武田信玄が駿河に侵攻し、武田氏に味方した。しかし、氏元は北条氏への内通の疑いで殺され、嫌疑で殺され、信玄の六男葛山信貞が家督を継いだ。
平時の城である「葛山館」と菩提寺の仙年寺の裏山にある詰城とも土塁や堀切、曲輪など遺構がよく残っている。
とのこと、またshizuoka城と戦国浪漫に詳しい解説が載っていますのでそちらをご参考に

葛山城案内図、ちなみに現在地の位置が間違っていて、大手曲輪は東出丸(東曲輪)の右側にあります

袖曲輪
山へ迫ってくる兵を上から矢で狙ったり、石を投げたりし、敵の侵攻を妨害する役目があったと想像できます


東曲輪の先には、主郭と東曲輪を分ける「堀切」があります
確かにこの構造では曲輪よりも出丸の方が正しいかもしれない
ちなみに案内板にある「一号堀」はこれの事

下に西の堀切にあたる五号堀、六号堀が、その向かいには西出丸があります

そして本丸
顔だしパネルがあるね・・・いやこの城天守閣ないよ・・・


富士山は曇ってて見えない
木が成長しすぎてて晴れてても見えるか怪しい気が・・・
ちなみに葛山城に登ったのはこれで三回目なんだが、一度もここから富士山見えたことない


本丸の東側には帯曲輪がある。これも袖曲輪と同様、東出丸からくる敵を高所から攻撃するための場所であったと想像できる


よく見ると武田家の家紋が
実は葛山家最後の当主は武田信玄の六男、葛山信貞なのだ。





















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