御殿場馬車鉄道の廃線跡を辿る【考察編】

廃線とか休止線とか未成線とか

さて、須走から先 籠坂越えの区間を探索する前に考察編に入ろう

御殿場馬車鉄道は明治31年11月11日に新橋停車場(御殿場駅前)~御殿場停車場(御殿場上町付近)が開業 翌月12月5日に柴沼田まで延長され 翌年32年1月23日に須走まで開業した

この馬車鉄道が生まれた背景として 当時の官設鉄道東海道線(後の国鉄東海道線)が大きい
明治22年7月に開業した東海道線は 現在の御殿場線を経由していた
当時の御厨町新橋には 新橋停車場(後に御殿場停車場と改名 公式書類は御殿場停車場で統一されている)が設置され 旅館や商店が立ち並び 東京や大阪方面からの物資がここ御殿場で降ろされ 御殿場驛道と呼ばれる道や旧甲州街道(現在の国道138号線)で甲府方面へ運ばれた為 荷物を運ぶ馬力や荷車でとても賑わっていた


現在の御殿場市水土野地先に残されている「御殿場驛道」の道標 御殿場駅と甲州街道を結ぶ目的で造られた

これを見て御殿場の有力地主や商人は明治29年8月に御殿場馬車鉄道の敷設を計画した
当初複線で開業したのは 既に既設されていた馬車鉄道を視察したところ「この馬車鉄道はかなり需要あるのでは…?」と過信してしまったこと(とはいえ実際に旧来の街道を結ぶ路線として特に山梨県側からの需要はあった) それと傾斜がきつい為 小型の車輌を使用せざるおえなかったことがあげられる

そのまま起動の測量が進められ その測量図は現在も残されている なるべく街道敷に敷設し 工事を削減するとともに利便性もあげた

しかしながら 既に御殿場甲府の物資輸送を担っていた馬力達は当然ながらこの馬車鉄道建設に反対 連日御厨町長の家を囲み抗議していたが この馬力達を優先的に雇用するという条件で和解した

こうして誕生した御殿場馬車鉄道 後に山梨県側から都留馬車鉄道と繋げる提案が来た
須走からは 旧甲州街道(地元では今でも鎌倉往還と呼んでいる)の旧な峠道で籠坂峠まで登っていた

その為 当時の須走村と協力し 明治34年12月(35年説あり)に1104mの山である籠坂を越える馬車鉄道が全線開通した
言うまでもないと思うが 当時ではこれほど高低差及び標高のある路線はなかった

さて、問題はこの籠坂越えのルートである
【導入編】では 旧鎌倉往還の経路をとっていたと言ったが これが間違いであることがわかった


駿東郡史の付録にあった静岡縣駿東郡全圖(本来は岡も旧字体なのだが変換出てなこない…)
それに 御殿場馬車鉄道も載っているのだが……


その経路がほぼ現在と変わらない
略図ではあるが これほどの葛折を省略するほど適当なものではない
──ごてんばの古道は「鎌倉往還に沿って……」と書かれていたので、まんまと騙されたことになる

また、小山町史資料所在目録 第三集 須走支所文章という 旧須走村の公文資料を集めた目録にはこのような記述があった

須走村議会決議書 明治32年度

議第10号 明治32年1月26日
甲州街道道路須走村より山梨県国界の間道路改良案は寄附及び村費とす

明治32年 須走村会議案 議第11号 第1項
甲州街道々路須走村より山梨県国界に至るの間明治32年度に於いて道路改良をなし諸改良に係る村費は寄附及び村費とし其の金額は設計済の上議定せんとす

つまり明治32年には甲州街道を改良する案があったということになる
私が持ってた古地図は明治24年のものだったから なるほど一致しないわけだ

また、御殿場馬車鉄道についても記述があった

議第3号 明治32年5月30日
須走村浅間神社前より字籠坂国境に至るの間 馬車鉄道線路仮設とせず、道路改良と共に敷設せんとす

須走村会議案 議第3号 第7項
須走浅間神社前より字籠坂峠国境に至る間 馬車鉄道線路仮設、諸道路改良工事起工の際は改良道路へ有設換の儀、御殿場馬車鉄道専務取締役 村庄平より出張に付き 本村会の意見を問う

なんと馬車鉄道に仮設線路計画があったのか──新設なのにも関わらず仮設なのは少々ピンとこない、つまるところかなり完成を急いでいたということなのだろう
それはともかく 馬車鉄道は改良道路が完成したらそこに線路を有設する事が述べられてることから、この時点で旧来の鎌倉往還沿いに敷設された事実はないのだろう もしかしたら計画にあった仮設線路がこの鎌倉往還沿いのものなのかもしれない
また馬車鉄道が須走まで延長されたのは明治32年1月23日 その3日後に甲州街道(現国道138号線)の改良計画が具体的化するのは偶然とは思えない
この改良計画は御殿場馬車の為に計画されたと断言していいだろう
実際にこの改良計画の寄付の半数以上が御殿場馬車鉄道名義からのものである

そして、この改良道路の経路についてだが…
後日 小山町立図書館に問い合わせて 須走支所にあった この改良道路の当時の資料を見せてもらったのだが そこにあった測量図を見ると ほぼ現在の国道138号線と同じ経路をとっていた
つまり この馬車鉄道の為に計画された改良道路は 後に県道化され さらに国道へ昇格 そして今でも静岡東部と山梨を結ぶ重要な道として生きているということなのだろう

この測量図は 資料自体が薄い紙質でかなり劣化していたので 一部しかコピーが出来なかったため お見せする事が出来ませんが この測量図が収録されていた 第壹期甲州街道改良書類(小山町立須走支所 蔵)には当時の詳細な資料が残されていた

なお、全部を転載することは 事情により避けたいところなので 概要のみ簡単に紹介しようと思う
なお、すべて 静岡県知事 志波三九郎の名による 静岡縣指令書の文章である

まず
明治34年6月27日「明治三十四年六月五日付願甲州街道改良工事の縣費補助ノ件」
これには明治34年度において金壱萬壱千六百九拾八圓四拾貳銭の補助金を候う件と 別紙命令書が同封されてたようだ

命令書に関しても残っていたが ここでは割愛する

明治34年11月6日「明治三十四年十月廿八日付願甲州街道改良道路延期之件聞届ク」

なお、この時点で工事は始まっていたようなので 着工の延期ではなく 工事期間の延長という解釈でいいと思われる

また、11月9日には縣費が壱千圓ほど上がり 道路設計が追加する指令が届いている

なお、完成したのは 明治34年12月9日とする説と明治35年とする説両方がある
この資料には明治35年以降のものがなかったことから おそらく明治34年12月9日であろう と考えると かなりの突貫工事であったことが伺える
これは、山梨県側 現在の富士吉田あたりの人からしたら 東海道線が既に開通していた御殿場駅からの道は 非常に重要な輸送路だったことも起因しているだろう その為に御殿場馬車鉄道の開通が急がれた事もあり なんとしてでも早急に工事を行う必要性があったのだろう

つまり、ここから分かることは

現在の国道138号線は かつての御殿場馬車鉄道の建設のために改良された路盤の跡であったということなのだろう

つまり、これは御殿場馬車鉄道の廃線敷は現存しないことを意味しているのだが ここまで来たので最後までは探索する予定である(というか探索してある)

「ごてんばの古道」に頼った結果 かなり翻弄されてしまったが 初めから「鉄道廃線跡を歩く」の記述を信じるべきだったのだろう……

というわけで、次回から籠坂越え区間に入ります

【御殿場馬車鉄道の廃線跡を辿る】

導入編

其の壱/新橋停車場~御殿場停車場

其の弐/御殿場停車場~柴沼田停車場

其の参/柴沼田停車場~須走停車場

考察編

其の四/須走停車場~籠坂峠停車場(前)

其の五/須走停車場~籠坂峠停車場(後)

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