
旧鎌倉往還を歩いてて見つけたこれ

発電所の跡のようだ


土管暗渠があるな

流れ込み式かな?

なんの施設なんだろうか?

これらも発電所の遺構なのか?



なにか深いところあるな
ここで発電してたかな





石造暗渠もあるな

さて、この発電所 「発電所跡」と書いてあるだけでなんの説明板などもなく 帰宅した後いくら調べても ここ発電所の記述が見つからなかった
そもそも名前すらも分からない Google先生で「須走 水力発電所」等と調べてもなにもヒットしないということが続いた
ようやく見つけたのが ひとつの詩集であった
「須走界隈 春の風」という忍城春宣氏の詩集の 「須走史跡処」の章に『須走水力発電所跡』という詩があるようだ
早速 ここ須走のある小山町の町立図書館(えらく街から離れた僻地にあった)へ行ってこの詩を読んでみた
須走水力発電所跡
闇夜に 二匹の柴犬と
鎌倉往還を散歩中
とうとう 山道を迷ってしまう
沢沿いを辿っていると
足元が急に明るくなり
誰かが 新道まで道案内をしてくれたのだ
翌朝 隣の爺さんに 話すと
精進川に 滑り落ちて 行方不明となった
あの親子の人魂が 今でも
眼鏡橋辺りを 浮遊するのだという
村はずれの 精進川の堤防に
須走水力発電所が建設される
それは大正十一年(一九二二)の
半年ほど前の 母子入水事件であった
この忍城春宣氏 須走に在住の詩人で いくつもの「須走もの」の詩を詠んでいるようだ
この須走水力発電所の記述 おそらくこの発電所跡の事で間違いないだろう
この精進川とは ここを通っている川の名称である
眼鏡橋がどの橋のことだか分からないが もしかしたら 案外この土管暗渠がそうなのかもしれない
母子入水事件については 実際にそういう話があったのだろう 「滑り落ちた」のに何故「事件」なのか?何らかの裏事情があったのか?当時の新聞を見れば何らかの手がかりがあるのかもしれないが 残念ながらここ小山町立図書館にその手の資料はなかった なにせ古地図さえもろくに置いてなかったのだ(これがあれば馬車鉄道も水力発電所の調査も大した苦労はしなかったであろう)
そして一番重要なのが 「大正十一年」に建設された ということであろう
つまるところ 街が電化された初期に作られた発電所なのだろう
既にあまり郷土資料に期待ができなかったこの町立図書館だが 司書さんにも協力をお願いして 御殿場馬車鉄道の資料を集めてもらっているあいだ この水力発電所についての記述を探してみた
すると 「小山町史資料所在目録 第三集 須走支所文書」にこの発電所の記述を見つけた
須走村会議案 大正4年度 議第3号
(大正4年7月23日)
第8項
須走電燈株式会社発起人 海野平太郎 外 11名より出願に係る
電気工事案 須走村滝ノ沢川水利使用支障有無に付 本村会の意見を問う
大正4年に「須走電燈株式会社」なる会社が 滝ノ沢川の水利使用を出願していたということになる
おそらく当時 須走村を電化しようというときに 村人達が作った電力会社が「須走電燈株式会社」なのだろう
滝ノ沢川は おそらく精進川の事である
当時の資料には須走村を東西に横切っていて 村にとって重要な河川であったはずの精進川という名称は出てこない代わりに滝ノ沢川という名称が度々でてくる
現在でも 駿東郡小山町字須走滝ノ沢という地名が精進川のほとりにあるが これらのことから滝ノ沢川は後の精進川のことだと思われる
そして 村の電力会社がその川の水利使用を出願したのだから これは間違いなく水力発電に使うためだろう
残念ながらこの他に 「須走電燈株式会社」なる会社の記述はなかった(あくまで御殿場馬車鉄道の調査のついでであったため 資料を大正までに絞ったので 昭和以降については分からない)
先程の詩では「村のはずれの精進川の堤防に 須走水力発電所が建設される それは大正十一年」と詠まれてるので 時期的にもあっている
資料に乏しかったので 辿れたのはそこまでだったが 「発電所跡」があるということは 計画通り施工され 大正十一年には 村初めての水力発電所が完成し 初めて村に電気が灯ったことだろう
実に7年ものあいだ、いや…計画自体はその前から──それこそ 御殿場馬車鉄道の起点であり 当時の官設鉄道東海道線の停車場があった御殿場 新橋が電化された頃からあったのだろう──そんな村人の長年の夢が叶った場所が 今では忘れ去られた 村はずれの 発電所跡なのかもしれない
【参考文献】
須走界隈 春の風(著 忍城春宣)
小山町史資料所在目録 第三集 須走支所文書
(以上 小山町立図書館 蔵書)


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