御殿場馬車鉄道の廃線跡を辿る【其の弐/御殿場停車場~柴怒田停車場】

廃線とか休止線とか未成線とか

前回の続きです


大分、前回から時間があいてしまったが 御殿場馬車鉄道の廃線跡の続きです

説明も前回の続きから行こうと思うので 初めに導入編其の壱を読んで置くことをオススメ致します

さて 今回は 御殿場停車場~柴怒田停車場跡まで探索しました


御殿場上町停車場の前には 庚申寺というお寺がある
江戸時代 宝永以前はここは小田原藩領だったのだが そこの藩主大久保家の信仰があって殿様お手植え松があり、藩主が御厨にくると必ず参詣したらしい
また 安政三年には この寺を中心に御殿場の宿場の大半が焼けた「 庚申寺焼 」が発生したらしい


また 寺の前には「会社」「馬車」などと呼ばれる家があり 切符を発売していたようだ
ちなみに 開通当時の新橋からここまでの運賃は5銭であった


御殿場上町停車場からは其の壱でも書いた通り 足柄街道から左手にそれていきます
馬車鉄道はしばらく この道を走っていました

この左の不動産屋だが 元は鍛冶屋であり かつては馬車鉄道の馬の轡や車輪などを終了していたようだ

また、この周辺が其の壱の冒頭で話をした 御殿場の地名の由来となった 徳川家康が命じて建造した「御茶屋御殿」の跡である
元々 其の弐にあたるこのレポで紹介する予定であったが こちらはこちらで独立させた記事で紹介することにしたので、また更新した時にリンクを貼ろうと思う


馬車道は保健センターの横を通る
この保健センターですが かつての御殿場町役場があった場所であった
またかつての御殿場警察署である沼津警察署御厨分署もあり その後は其の壱に登場した馬車道公園のところに移転し さらに246バイパスへ移転 今に至る
御殿場市発足後 この旧御殿場町(ちなみに御殿場町は御厨町が前身である)の役場は市立図書館などり転用され これらより当時はここが御殿場の中心街だったことが伺える


さらに進むと 県立御殿場高等学校の横を通りすぎる
余談だが先日 この学校の文化祭があり かつての級友や担任がこの学校に通っていることもあり 少し見学させてもらったが わりと本格的なファッションショーがあったり(最も僕はこれを噂で聞いただけで実際に見たわけではない)公立高校にしては中々に見所があった
そんな御殿場高校だが かつては地元の農家の後継者育成を目的とした農業高校であった
その後 実業高校となり 現在では 情報システム科(工業科)、情報ビジネス科(商業科)、情報デザイン科(家庭科)が設置されている


どうやらこの馬車鉄道がかつて通ってたこの道は「うわみち」というらしいが この「うわみち」に面したとある民間にバスの廃車体があった


そのバスの廃車体の前には なんか”それっぽい”岩がおかれていたが 特に何も書かれている様子もなく 実態は不明である


写真は 進行方向とは逆向きにとっているのだが 馬車鉄道の跡はこのように続く
──あんまりわからないですね


その後馬車鉄道は「うわみち」と別れ このT字路を真っ直ぐ──つまり 広場や住宅地がある方へ直進していたようだ
この区間は開発により廃線跡が消滅している
そんな長い区間ではないが ここは ここを左に曲がり 迂回をする


反対側 この水路を馬伏川と言うらしい
不動尊がぽつりと立っている(初め僕はこれを馬頭観音だと勘違いしていた)がこの道ではなく この川の右側を 馬車鉄道は走っていたようだ


ここから馬車道に復帰したいところだが まだ復活していない(廃線跡はこの水路の左側)ので またもや迂回を強いられる


途中 八幡宮がある


八幡宮の境内から 水路を除くと 左側に廃線跡が残っている 茶畑があるあたりが元の馬車道だ


またしばらく進むと ここで馬車道と合流する


うん、ちょうどこの不自然なところを通ってたに違いない


馬車道と合流したと言っても その廃線跡は微妙に左側にずれている
左側の妙に空いた土地がそれなのだろう
これは 国道246号線のバイパスの下をくぐるまで続く


バイパスの下をくぐると 二枚橋地先の水田地帯となる
この真っ直ぐに伸びる道が馬車道っぽくて 進んでしまいたくなるが(かくいう僕も初めは真っ直ぐに進んでいた)ここは右に曲がるのが正解である


馬車道は先程の馬伏川に沿っていたらしいか その馬伏川が開拓により消滅しているので おそらく実際にはこの道とは異なるのだろうが ほぼこの道の近くを馬車道を走っていた


再び左に曲がり ここからは 古地図通り進む
ここから先の区間は 馬車鉄道建設の際に作られた道のため 地元の人は今でも「馬車道」と読んでいる


「馬車道」の道標を見つけ これであっているのだと安心する(内心これであってるのか心配だった)


ここからは馬車道を歩く


白鷺?


舗装路から非舗装路に変わる


したすら真っ直ぐに 馬車道は続いている


田んぼ以外なにもないが 当時からこんな状態だったというのだから 中々に凄い場所に馬車鉄道作ったのだな…
確かに御殿場と大月を結んでいたとはいえ…沿線がこれだと 籠坂峠以北の都留馬車鉄道より短命に終わったのも頷ける
ちなみに都留馬車鉄道は現在の富士急行富士吉田線の前身である


真っ直ぐだった馬車道は 突然急カーブを描く
この先に溜め池があったためのようだ
馬車鉄道だからこそできる線形である


急カーブの先は 少し林の中に入り 芹沢将監屋敷跡の横を通る


説明を省略する代わりに案内板を載せときます


そして馬車道は 北村の集落の中へ入っていく


市道に出る少し手前に民家があるが ここを「マッチャバ」という
マッチャバとは待合場 のことで ここで上下線の馬車がすれ違いを行っていた (ちなみにこれは片側の線路が剥がされた後の単線時代の話である)
この民家では すれ違いのための停車時間を利用して 客にラムネや駄菓子を売っていたそうだ


馬車鉄道は 市道に出ると 市道に沿って右に曲がっていた


昔は川があったらしい 資料にある川はこちらの旧来の川の経路で書かれていた──なるほど 地図との不一致はこのためか


しばらく進むと 柴怒田のバス停が見える
ちなみに バスは1日1往復である


馬車鉄道はそのバス停の手前を左に曲がっていた


角に馬頭観音があった


馬車道へ入ると そこが柴怒田停車場があった場所である


地元の人には「テンシャバ」と呼ばれていた
資料によると実際には停留所らしいのだが 本記事ではテンシャバすなわち停車場で表記統一をしております
近くには 馬の水飲み場とされた沢があったようだ
御殿場停車場からの運賃は5銭 新橋停車場からは10銭であった

この区間の経路(おおよその推定)

其の参に続く

【御殿場馬車鉄道の廃線跡を辿る】

導入編

其の壱/新橋停車場~御殿場停車場

其の弐/御殿場停車場~柴怒田停車場

其の参/柴沼田停車場~須走停車場

考察編

其の四/須走停車場~籠坂峠停車場(前)

其の五/須走停車場~籠坂峠停車場(後)

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