御殿場馬車鉄道の廃線跡を辿る【其の参/柴怒田停車場~須走停車場】

廃線とか休止線とか未成線とか

前回の続きです


柴怒田停車場の跡である


周囲にはなにも無い──も思いきや、馬頭観音が置かれていた


突き当たりを左にまがる
この道は旧鎌倉往還である


実際歩けばわかると思うが、結構な勾配がある
歴史ある旧鎌倉往還としてはなんの不思議のない坂道だが、それが馬が馬車を引いて往来してた馬車鉄道と聞くと驚きを隠せない
東海道線の最も難所だった区間は 25‰の急勾配が続いていた現在の御殿場線区間だが ここはそれよりも勾配がある 馬車軌道と天下の大動脈を比べるのは些か野暮な気がするが 軌道は基本勾配は敵である 御殿場馬車鉄道はここから急勾配が続き 実際に事故も多発してきた
もちろん、急勾配であったことは初めから予想されていたので 御殿場馬車鉄道の車輌は他の馬車軌道と比べて小型の物であったと言われる それこそ小田原から熱海を結んでいた人車鉄道 豆相鉄道程度の物であったようだ
さらに 下りは馬を後ろに繋ぎ 馭者が木製のブレーキをかけつつ惰性で急勾配を下っていたようだ
このような状態だった為 開業当初は事故が多発し 開業後も度々転覆事故が起こっていた


しばらく旧鎌倉往還に沿って歩くと やがて馬車鉄道は右へ逸れる


今までもそのような場面はあったが(この先もある)果たしてこれで複線分あったのか疑問である
実は複線運用されたのは 二枚橋より先の区間では明治31年11月11日(御殿場停車場より先は明治32年1月23日)から須走から籠坂峠延伸時の明治34年頃までである
これは明治34年12月に延伸された籠坂峠までの区間に複線の線路を転用した為であった ちなみに新橋停車場~二枚橋までの複線は晩年まで残されたようで御殿場駅近くから続く馬車道は旧来の複線軌道の幅が保たれている


柴怒田から須走までのこの区間は明治32年1月23日に開通した 須走までの高低差は約230mのようである


途中で合流してきた道を左進み 牛舎の先で再び馬車道は右に逸れる


人が通らなくなって等しい状態だが 馬車道の様子はよく残っている


途中で川を渡るが ここは橋を架けずに土管を下に通してそれを橋の変わりにしている この橋は馬車鉄道建設当時のものである


しばらくこのような感じの道を進む
GoogleMapを見ると途中で右に逸れる道があるようだが見当たらなかった


ここらへんは当時からの様子をとどめているのだろう
にしてもこの様な所を進んでいたんだ 籠坂峠より先の都留馬車軌道(後の富士急行)より短命だったのが頷ける


やがて少しばかり開けた場所に出る


やがて舗装道路へ出るのでその道を進む


途中で左に逸れる怪しい道を見つけた


道は途中で途切れている


道の反対側はこのような感じである


もしかしたらこちらが本来の馬車道かもしれない


やがて 馬車道はキリンシーグラム御殿場工場へぶつかる 馬車道はこの工場の中へ進んでいたが 中には入れないので迂回する


そして迂回した先
おそらくこのあたりから馬車鉄道は来ていた


その反対側に馬車道は伸びている


ここも当時の面影を残している


この場所をクゴ(九合)と呼ぶ
ここからいよいよ 急勾配が本格的なものとなるのだが その直前の馬の水飲み場であった場所である
馬車鉄道はその名の通り馬を動力とするから その沿線には馬のための水飲み場や糞尿処理施設があったがここクゴもその1つである


少し右に逸れると 今でもその水飲み場の跡が残ってるようだ


少し降りてみよう


おそらくここがクゴ──水飲み場であった場所であろう 不自然にここだけ平場ができてたのも 馬のためのものだったのだろう


さて、馬車道へ復帰しよう
クゴ(九合)を過ぎると いよいよその進路藪に覆われ初め 馬車道を辿る事が難しくなってくる


ここらへんは廃道化が進んでるが ここまではGoogleMapやマピオン地図にも書かれている


藪でわかりずらいが ここに分岐点がある
馬車道は左に行くのが正解である


しかし 間違えて右に進んでしまった


GPSを確認したところ 全く逆の方向へ進んでいまのでこの倒木の場所で引き換した
しかし、僕が道を逸れた理由はもう一つあった


馬車道に復帰する
実はさっきから 犬の鳴き声がしきりに聞こえてきた
しかもその鳴き声が馬車道が進む方向から聞こえてくるのだ
野犬ではない(野犬は吠えない) しかし野良犬だとしても 安全とはいいきれない 個人的には廃墟探索しててよく会う猿や鹿よりも犬の方が怖い


やがて藪でまともに進むことすら困難になってきた
無理すれば──むしろ普段のからしたら 別に大したことはないのだが、やはり犬の存在が大きかった
進むべき先にやはり犬がいた
どうやら この先に犬を保護してるか、その類の何らかの施設があるようで 馬車道はその隣を通ってる
犬が逃げないように何らかの工夫をしているだろうが その施設へ 不本意な形で侵入せざるおえない場合も考えられたので ここは素直に引き返すことにした
なお GoogleMap マピオン等その他の地図にはこの先の道も書かれているので おそらく道自体は残っていると考えていいだろう


迂回した
実は先程の場所から50mほど先に進んだ場所である
馬車道は手元の資料を見る限りこのあたりを通っていたらしいのだが 道らしきものがない おそらくGoogleMapに書かれているように 車が止まってる場所(施設の方の車である やはり迂回して正解だった)から馬車道は来ていたと思われる


そしてその反対側に伸びている道が馬車道である
これから先は現代の地図には描かれていない


馬車道の雰囲気は残っているのだが──残ってはいるのだが…本当に何もない所を通っていたのだな……
【2015/03/07追記】
宮脇俊三さん編集の「鉄道廃線跡を歩く」によるとこの辺に「水土野停車場」があったようだ
これまで参考にしてきた「ごてんばの古道」(御殿場市立図書館古文書を読む会)にはそのような記述はなく 同様に御殿場市史や小山町史にもなかったので見落としていた
鉄道旅行地図帳によると水土野停車場は明治32年1月23日に開設されたようだ──つまり柴沼田~須走延伸時と時を同じくして開設されたようだが しかし須走停車場の開業が新橋停車場開設時と同じく明治31年11月11日と誤って表記されてることからして信憑性には欠ける
鉄道廃線跡を歩くによると キリンの工場~富士平原GCの間に水土野停車場があったようだが やはり定かではない 最も御殿場馬車鉄道は沿線ならどこでも自由に乗降出来たようなので停車場など必要無いのかもしれない また先程の九合には馬の水呑場があったことを考慮すると 案外 九合に停車場があったかもしれない


左になにか先程の工場に関係する施設があったが これのためにかろうじて道が生きていたようだ(しかしながらこの施設は先程工場を迂回する際に使用した道で反対側からアクセスできる)


道が怪しくなってくる


なにか開けた場所に出た


これは──なんだろうか


辛い、これはとても辛い


ふと空を見ると 雲の量が多くなってきた
朝の段階では 快晴だったのに


藪的な意味で辛い


──なんとか抜け出せた…


馬車道の雰囲気はまだ残っている
何度もいうがこんなところを馬車鉄道は走っていたのである


やがて馬車道は富士平原ゴルフ場へぶつかる
ゴルフ場の中へ入るわけには行かないからまたもや迂回を強いられる


迂回する途中で廃墟を見つけた→御殿場市水土野のラブホ廃墟


反対側へやってきた
馬車道はクラブハウスの脇から出て この右の道へ進んでいたようだ


しばらくはこの道を進む


馬車道は海苔川を渡る この橋が当時のものかどうかは分からない


やがて道は二つに別れる
まっすぐ行くと別荘地へ行ってしまうので ここは右へ逸れるのが正解である


再び馬車道の雰囲気が残る区間を進む
ここが 須走までの区間では 最後のかつての雰囲気を残す区間であろう


やがて馬車道は広い場所に出る


どうやら ホテルの庭に出たらしい


ホテルを通り抜けると 駿東郡小山町須走へ入る
馬車道は真っ直ぐ行くのが正解である
当時はこの町道はなかったので 下らずにそのまま真っ直ぐ馬車道は伸びていたと思われる


この先は 町道を右へ左へそれながら 急勾配を葛折りの状態で登っていた 御殿場馬車鉄道一番の難所であった
このような場所のため 度々事故が起こっていたらしい
明治32年8月8日の静岡民友新聞には「御殿場・須走間の馬車鉄道は数々転覆しら乗客の危険なる事は前にも記せし所なるが、去る十三日も須走を出発して御殿場に至る途中にて転覆し、二、三名は負傷せし向きもありしが、直ちに手当をなせしめため、幸いに生命に別条なかりし由なるが、馭者は注意せらるべし、」(ごてんばの古道より抜粋)と記されている

さて、最初の葛折は前途の通り真っ直ぐ進んでいた


とりあえず登ってみたが なにかあった
馬車鉄道に関係のあるものだろうか…?


果たしてそこに平場はあった、が


すぐに消えた


もしかしたら土砂崩れがあって それが長い年月かけここまで元に戻ったのかもしれない
このあたりの地盤は 火山灰の層が上に来ているため 非常に脆いのが特徴である


それっぽい平場は途中見かけたが やはりそれが馬車道であるとは断定出来なかった


そろそろ現道へ復帰しよう
どこかで平場を見失い 下へ降りていってたようだ
普通に考えれば 馬車鉄道はあの現道のある高さまではあっただろう
多分 馬車鉄道は既に現道である町道の左へ逸れて次の葛折へと入っているのだろう


現道へ復帰した
やはりこの先 数々の研究所が立ち並ぶ関係でかつての面影を見つけることは叶わなかった


やがて現道は国道138号線へ合流する


ここで馬車道は途切れる
ここから先は東富士五湖道路須走ICに取り込まれている為 かつての馬車道を辿ることは不可能のようだ


おおよそ 馬車道は国道に沿って須走の街へ入っていった


右に逸れるのは鎌倉往還
そして、おそらく甲州街道も合流してこの道を進んでいたと思われる(なお後世は現在の国道138号線に沿って須走の街に入っていったようだ)


なお、この区間は私は旧鎌倉往還の方を探索した為馬車道を辿っていない
結果はわかってる 何も残っていない
が、流石に適当過ぎたので 次回探索するつもりである


旧甲州街道である 右からは鎌倉往還が合流してくる
ちなみに、鎌倉往還を通る方が近いのだが 馬車道はこちらを通らなかったのは 実際に旧鎌倉往還を歩いてみればすぐにわかる
既に廃道化してる
詳しくは「旧鎌倉往還/国道138号線 旧道」を見て欲しい


ここで急勾配区間はおわり 須走停車場へ着く
現在の富士急バス 須走車庫前のバス停の前に停車場はあった 後に移転し 須走浅間神社前に移動したが これは時代と共に街の中心街が下本町から上本町へ移り変わった為である
新橋停車場から須走停車場までは 総延長6626間(約12km)で往路は上りで約2時間 復路は下りで上りの半分の約1時間で往来していた
運賃は17銭だった

いよいよこれから先は 籠坂峠越えとなり ほぼ全線にわたり 鎌倉往還や合流してきた甲州街道に沿って馬車鉄道は走っていた
現在 ほぼ経路は特定しているが もうすでに積雪期に入ってしまったので雪解けを待って 探索を開始したいと思う
殆ど残っていないと言われているが 鎌倉時代から明治大正頃まで使われていた歴史ある道である 何らかの手がかりがあるとは思いたい

つづく

【地図】御殿場停車場~柴沼田停車場~須走停車場

【御殿場馬車鉄道の廃線跡を辿る】

導入編

其の壱/新橋停車場~御殿場停車場

其の弐/御殿場停車場~柴沼田停車場

其の参/柴沼田停車場~須走停車場

考察編

其の四/須走停車場~籠坂峠停車場(前)

其の五/須走停車場~籠坂峠停車場(後)

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