御殿場馬車鉄道の廃線跡を辿る【其の伍/須走停車場~籠坂峠停車場(後)】

廃線とか休止線とか未成線とか

この記事の続き


だいぶ前回の記事更新から間が空いてしまったが 続きから始めようと思う

馬車鉄道はここを左に曲がっていた
しかし、馬車道が作られるまで 旧来の街道(甲州街道、鎌倉往還)は真っ直ぐ 今の道と同じように登っていたようで、古地図にはこちらの経路で鎌倉往還が描かれてる
しかし、明治34年の御殿場馬車鉄道の敷設に伴う甲州街道改良工事(詳しくは【考察編】を)により ここから先、勾配緩和の為つづら折りを描くことになり 経路が左に逸れたようだ

しかし、現在は昔の鎌倉往還と同じく 真っ直ぐ道が進んでいる これは後年 改良された甲州街道が国道に昇格した後に 須走から山中湖にかけて全体的に改良工事が行われた際、ルートが変更され僅かな区間だけ旧鎌倉往還を通る経路に変更されたからだ
しかし、ルート変更を伴う改良区間はこの籠坂峠ではここだけで それ以外の区間は今もなお 旧御殿場馬車鉄道の廃線敷をそのまま使用しているから驚きだ


まず最初に橋を渡ったが、おそらくこれは旧国道時代の遺構なのだろう
この区間は御殿場馬車鉄道の廃線敷であると同時に正真正銘 国道138号線だった時期がある列記とした旧国道の廃道である
なお、ここからが 明治34年の甲州街道改良工事区間だったようで ここから山梨県との県境までの測量図が小山町立須走支所の方へ残っており、それを参考に探索している


ゴルフ場の側道も兼ねてるのか、この区間は整備されてるようだ


やがて、若干広い場所に出る
ここで馬車道は大きく右へ曲がっていた
ちょうど自転車を置いてある方向に馬車道は進んでいたようだ
地図を見ると ここに「駒止の松」があるようだ


これらの


どれかが


「駒止の松」なのだろうか?
駒止、即ち 馬を停めていた松があったのだろう
ここから本格的に籠坂越えが始まるので位置的にはおかしくない
旧鎌倉往還の経路から外れるので、馬車鉄道の馬がここで山越え前に休憩していたのかもしれない。しかし別に旧鎌倉往還からそこまで離れてるわけではないので 昔からここで馬を休めてた可能性は大いに高いし、むしろそっちのほうが自然であろう

なお、地図や文献を見ると「駒止の松」がまるで健在であるように描かれてるのだが どこに「駒止の松」があるんだよ!教えてよ!


なお、国道には「駒止松」というバス停が申し訳なさそうに残ってる、駒止松を過ぎると次は籠坂峠までバス停は無いので 山越え前最後のバス停となるのだが、今まで利用客は一度たりとも見たことがない


さて、ここからは自転車を放置して馬車道を探索する
ちなみに、私はここを探索した後、そのまま旧鎌倉往還の方を探索したので ここに自転車を2時間以上放置プレイしてたが 決してここの写真にある通り不法投棄などではない


旧国道なだけあって、かなり広い平場が残っている


なんか、凄い荒らされてる
どうやら舗装が剥がされてるようだ 廃道化工事がされたのかな?
しかし、既に800mぐらいの高所である上に この辺りの木々は殆どが整備されてる為、特に廃道探索の上で支障にはならない


多分、広葉樹が生えてるあたりが旧国道の廃道


剥がさた舗装の後か?


やがて、現道に垂直に合流した


現道側から見ると、道があったようには見えない


現道側から見ると 旧道はカーブの途中で合流している
かつて馬車道と甲州街道改良道路は旧道から出て 自転車が走ってる方へ曲がっていた
現在でもここのカーブはかなりの急カーブで、この先、籠坂峠手間にある「魔のカーブ」 程ではないほども、事故が多発している場所である しかし以前はそれよりも急だったカーブが2つもあった(もうひとつは駒止の松のところ、測量図を見る限りそこもかなりの急カーブであったようだ) 馬車鉄道の為の勾配緩和が目的であったにしろ、これでは流石に問題であったのだろう、この区間の現道は実は籠坂越え区間では最も勾配が厳しいのだが、車両の性能が向上したのもあり、勾配緩和よりも、カーブの緩和を取ったのがこの区間が付け替えされた要因であろう


この付け替えされた現道は、前途の通り旧鎌倉往還の跡を使っているが、直角カーブのところで 旧鎌倉往還と別れる


鎌倉往還は ここから籠坂峠まで 殆ど真っ直ぐに登っていく
明治34年までの旧道には辺り、実際 当時の官設鉄道東海道線の御殿場駅まで馬がひっきりなしに往来していた
だからこそこの馬車鉄道の需要が見込まれたわけだが、旧来の街道は 登山道のそれより酷いぐらいの勾配であったようだ
そのため、この先のつづら折りの改良道路が生まれたのだが、その以前の勾配の酷さは後で分かる

ちなみに私はこの後 この鎌倉往還の後を探索してから 再び馬車道の探索に戻った為 2時間以上ここで時間を使った

鎌倉往還の様子はまた機会があったら紹介しよう


自転車を回収していよいよ籠坂越えの区間に差し掛かる
さて、ここからは概ね 現在の国道138号線と同じ経路を御殿場馬車鉄道を辿っている


甲州街道改良道路は 一度西に大きく迂回してから そこから180度方向転換して 籠坂峠へ向かっている 夕月公園はその方向転換するつづら折り部分のカーブの内側にある公園だが、ここのカーブが 当時の測量図と現国道若干の違いがある
おそらく、後年 カーブの緩和の為に カーブの半径を大きくした為、旧来の道路が公園として整備されたと思われる


そのため、おそらく こちらが旧甲州街道改良道路 そして御殿場馬車鉄道の跡だと思われる


公園が終わる
さて、ここからはもう旧道敷はないだろうからさっさと行こう


ここまでくると、ママチャリでこの坂をノボルノガ辛い
もうここから先 半分以上は押して歩いた


所々に 路肩が広く取られてるところがある
これも 明治34年甲州街道改良工事の測量図に残されていた、待避場、退避場、休憩場 など 用途は不明だが御殿場馬車鉄道に関連して設けられていたと思われる


───ん?左になにかある


あぁ、ついに標高1000mを越えてしまったか……


なんか見えてくる


説明は省略する
そして、この方の墓だけれども……


これを登ったところにある……
このもう訳が分からないぐらいの急登する道

これが実は 旧籠坂みち である

詳しい説明はこちらのサイトで既にされていたのでリンクを置いておく


このありえない勾配の急登する道
本当に垂直に道を登ってる感覚がある

この道は 最も最初に造られた籠坂越えの道と言われている
地図を見ると、籠坂峠と静岡、山梨の県境はずれている
これは、駿河、甲斐国の国境が籠坂峠とずれていた事に因む

しかし元々は籠坂峠は駿河、甲斐国の国境に位置していた
この旧籠坂峠(当時は加古坂峠 と言われてたようだ)を承久の乱の後には 藤原光親が通ったり 戦国時代には武田信玄やその子 武田勝頼の駿河侵攻時に使っていた
その際の道が この急登の道である
この道は 鎌倉時代以前からあったと言われるので 本来の「鎌倉往還」はこの道だったと思われる
また、旧加古坂峠はこの急登の古道を登った先にある

いつごろから現在の籠坂峠が使われ始めたから定かではないが 江戸時代の街道整備は進み始めた頃だろう 先ほどの古道と区別する為に現在の籠坂峠を通る道を「甲州街道」としよう
この甲州街道だが、明治20年代の地形図には 籠坂峠を通る直登の道が描かれてる
おそらくこれが江戸時代からの甲州街道なのだろう
また後で紹介する籠坂峠手前の通称「魔のカーブ」はこの時代からあったようだ
そしてそこから 先ほどの駒止の松近くの直角カーブのところまで、うぐいす谷と呼ばれる谷を下っている
前途の通り 先ほどこの道を「鎌倉往還」だと思い(なにせ鎌倉往還としか案内してなかったからそうだと思い込んでいた)探索したが 流石に明治34年の甲州街道改良道路が造られて以降放置されてたからか 結論から言うと何の痕跡もなかった
が、勾配だけは酷かったということは良く分かった この急登の旧鎌倉往還よりはいくらか緩和されてるが それでも酷い
これでは御殿場馬車鉄道の建設計画がなくても、甲州街道の改良工事は必然的であっただろう

まとめると

元来 駿河、甲斐の国境を跨ぐ旧加古坂峠を越える古道「旧鎌倉往還」があり、江戸時代まで広く使われた

江戸時代頃になり 現在の場所に籠坂峠が移されて 「甲州街道」ができた

明治34年になり 御殿場馬車鉄道の敷設に伴い 甲州街道改良工事が行われ 現在の国道238号線 籠坂越えの道が確立される

間違ってたらごめん
ちなみに「甲州街道」の名称は室町時代には既にあったので あくまで便宜上 鎌倉往還との区別の為に使ってます
最も、甲駿を結ぶ峠はいくつもあったようで これ以外にもいくつか道があったようです


ちなみに、この旧鎌倉往還 さっきと反対側を見ると こんな感じである


さて暗くなってきたので先を急ごう
山梨県との県境である
測量図はこのまでで、県が指導した 甲州街道改良工事の範囲もここまでだったのだろう
つまりここから先は山梨県側が建設したようだ


やばい、あっという間に暗くなった
ちなみに、古地図が正しければ この下に旧甲州街道があった


暗くてなんにも見えないね
暗くなくても何もないけど


やがて、籠坂峠手前の「魔のカーブ」に差し掛かるのだが 御殿場馬車鉄道は 最後の「魔のカーブ」の部分をワイヤーを使って 直登してたようだ
客は普通に降ろされ「魔のカーブ」を歩いたようだが そのインクラインの跡はここである
うん、よく分からない
暗いとか関係なく なんにも残ってない


本当に恐ろしい「魔のカーブ」本当に事故が多い 私の知り合いもこの前事故った
多分だが、御殿場馬車鉄道がこの魔のカーブを通らずに最後 インクラインを使って登るという面倒なことをしたのは このカーブがきつすぎて曲がりきれなかったのが原因だと思う
後、ここだけ勾配がきつい


そのインクラインの上部 おそらく自転車置いてあるところあたりだと思われる
少し遺構を探してみよう


──なにもなさそうだな
一応降りてみよう


なんかあった
インクライン関連のものかどうかは不明だけど 延長線上にはあるんだよなぁ……
例え違くても 何の用途でこれを造るんだ?


──これ以上は遭難するだけだから 撤退しよう


代わりに水準点をみつけた


魔のカーブを抜けると 切通がある 馬車鉄道はインクラインで直登したところで また馬に切り替えたか、平場がないからもしかしたらここもインクラインだったかもしれない


というわけで、ようやく籠坂峠に到着
ここに籠坂峠停車場があり 都留馬車鉄道と接続していた
当時は乗り換えの人で賑わっていたのだろうか


マジでなにも見えない


籠坂峠には加古坂神社がある


お邪魔しようかと思ったが、参道が真っ暗で途中で引き返した


これで御殿場馬車鉄道の話は一応終わりである

地元の夢を運び、かつては文豪や登山客に愛された 標高差700mの馬車鉄道は 人々に忘れられながらも今も随所にその痕跡を残してる

【おまけ】


暗かったこともあり、帰りは自転車すっ飛ばして 峠道を下った
須走までなんと30分もかからなかった


道の駅「すばしり」でこんなのを見かけた

【御殿場馬車鉄道の廃線跡を辿る】

導入編

其の壱/新橋停車場~御殿場停車場

其の弐/御殿場停車場~柴沼田停車場

其の参/柴沼田停車場~須走停車場

考察編

其の四/須走停車場~籠坂峠停車場(前)

其の伍/須走停車場~籠坂峠停車場(後)

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